週末には実家の家族が会いに来てくれる
今まで生きてきて、お見舞いをされる側の立場にはじめてなった。
そうして気づくことがある
昔 祖母や祖父が入院しているとき 孫である私はお見舞いに行っていた。
若く遊びたい盛の私は お見舞いといえば退屈な印象をもっていたものだ。
増してや祖父母の年齢での入院は 悲しいことに回復があまり見こめないケースが多々ある
日々衰えていく 肉親を見るのは嬉しいことではない。多くの人にとってもそうだろう。
しかも 若い自分は 私がお見舞いに行って喜んでくれているのかな?とも思ったりしていた。
しかし、今 自分が病の床に伏していると 病人の気持がわかるようになったと思う。
見舞いは 確かにうれしい。
もちろんみじめな自分の姿は多くの人にさらしたくないので、極めて親しい間柄の人に限ってだが、見舞いをうけ、話をして世話をしてもらうと 気がまぎれる
病人は体の自由がきかず、いつも自分の病のことが頭から離れない。 逃げられない状況だ。
しかし、他の人に 病の不安など打ち明けていると 思った以上に気が紛れる
病気以外の何気ない会話や 気づかう仕草に 勇気をふるしおこしたりもする
なってみないとわからない気持ってたくさんあるのだろう
ひとつひとつ経験して わかっていくのかな
posted by 天草の田舎暮らし at 18:38| 熊本

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日記
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